「あんた 2 浪はできないよ」

 

母から言われた言葉を思い出した。

 

大学受験まで残り 5 か月を切っていた。

 

就職を選ぶくらいなら大学の自由な4年を手に入れたほうがマシだ。

 

もう僕はレールの上に敷かれたまま生きていくしかない。

 

「どうせ受験するなら親を見返したい」

 

当時のぼくは嘘の慶應合格発表を本物にしたかった。

 

残り時間が少ないなか僕は慶應を目指した。

 

はじめは勉強法の勉強に費やした。

 

どの参考書をみても、

 

「どの問題も網羅すべき」

 

「バランスよく効率的に勉強しよう」

 

とか普通のことしか書かれていなかった。

 

そんなことより僕は最短で合格できる裏ワザみたいなのが知りたかった。

 

そうやって受験の情報収集をしていくと、書かないで勉強していく勉強法に辿り着いた。

 

さらに勉強する際は集中して 1 科目をとことんやる。

 

しゃべって覚える。斬新な勉強法だった。

 

僕は喋って覚える勉強法を取り入れた。

 

慶應を受けるとなると英語、世界史、小論文が必要となる。

 

この3つしかやらないことにした。しかしここで不安がのしかかる。

 

小論文の勉強法には辿り着いたものの、答えがなくて正解を教えてくれる人の存在がいないのが自分を弱気にさせた。

 

答えがなく暗闇のなか突き進み勇気は僕にはなかった。

 

「小論文教えてくれる人いないじゃん、やばい…慶応受かる気しねえ。それよりも早稲田の方がいいんじゃない?慶應って最初、神奈川の日吉じゃん。それより都内の早稲田の方がいいでしょ。」

 

早稲田の社会科学部は、英語、政治経済、国語。

 

この3つの教科で受験する。楽なほうを選択した。

 

英語を2ヵ月、国語を 1 か月半、政治経済を 1 か月で仕上げればいける。

 

そこだけに特化させて勉強するようになった。

 

1日のスケジュールとして、

 

朝5時に起きて、単語帳をもち散歩する。

 

帰ってきたら、バナナとか食べてまた外に出てネクステ。

 

途中のファミマで、飲食コーナーにいながら早稲田の過去問を解く。

 

昼食は、ローソンのスモークタンとピーナッツ。

 

そのあとジムに行って、筋トレ。

 

次に図書館に行って、ポレポレ英文読解を読む。

 

そして帰宅。

 

スマホを常に家のポストに入れてパソコンにも一切触れないようにした。

 

家じゃ勉強できないので外に出て隣の駅まで歩きながら英単語をひたすら覚える。

 

ぶつぶつぶつぶつ英単語を唱えて、ミスったら最初からやり直し。

 

それをただひたすら繰り返していた。寝る以外は全て勉強に注いだ。

 

風呂も飯のときも参考書をひらいて読んでは、ページを閉じて、

 

「くじらの構文っていうのは~えーっと」

 

とか言いながら即アウトプットをしていた。

 

過去に英語のメディアを作っていたのもあり英語の成績はみるみる上がるようになった。

 

過去問も 8 割を下回ることがなくなった。

 

早稲田の長文読解問題はパターンゲーなとこがあった。

 

例えば、問題の選択肢に”absolute”(絶対的な)という単語が出てきたら選択肢から外せるとか。

 

”However”や”But”に続く英文は大事だから、ここから答えが見つけやすいとか。

 

初見の過去問でも余裕で解けるレベルになっていた。

 

英語に不安を抱かなくなり、次は国語を勉強するようになった。

 

古文単語も徹底的に覚える。

 

ただ国語の問題の解き方が分からなかった。

 

だから、8 万円くらい支払って早稲田に特化させた塾の解説プリントをもらった。

 

何回も何回も繰り返し問題を解くことで、丸5年の過去問がミスらなくなった。

 

早稲田の試験本番まで残り 2 か月。

 

僕は完全に浮かれていた。

 

「政経は 1 か月で仕上がるし、センターも受けないし。そしたらこの 1 か月余裕じゃね?(笑)」

 

余裕ぶっこいて正月やらかした。

 

紅白、ガキ使の笑ってはいけない24時、今まで録画していたアメトーークやアニメを見続けていた。

 

そのあいだ、ほぼ勉強せずただ遊んでいた。

 

センター試験の日を目安になんとか切り替え、試験まで残り 1 か月半。

 

受験モードになって政経の勉強をし始めた。

 

なんとか試験にはギリギリ間に合う状態で挑む形となった。

 

2017 年 2 月、滑り止めの大学を受けに行った。

 

僕は大学を完全に舐めていた。

 

結論から言うと滑り止めすべての大学に落ちた。

 

僕の考えは早稲田の勉強しているから、それより偏差値の低い大学なんて楽勝で受かるでしょ。そう思っていた。

 

しかし、違った。

 

そもそも早稲田はほぼすべてがマーク式、一方ほかの大学は普通に記述もある。

 

国語なんてまず漢字が書けないし、英語もなんとなくのスペルでしか覚えていない。

 

理解できても書けないのだ。

 

今思えば早稲田による早稲田のための勉強しかしていないんだから落ちて当然である。

 

実際に慶應の商学部は受かっても、地元の F ラン大学には合格できなかった人もいる。

 

そういうケースも珍しくない。

 

しかし当時の僕はそれにきづかず、舐め腐っていた滑り止めに落ちて絶望した。

 

早稲田への自信がなくなった。

 

メンタル崩壊。

 

母「あんた早稲田なんて受けてる場合じゃないんじゃないの」

 

僕「…(俺は早稲田のために勉強してきたんだ)」

 

母「どこも受かってないのに早稲田なんて受かるわけないじゃない」

 

僕「うう…、たしかに」

 

受験料も払っていたのに僕は結局、早稲田を受験することもできなかった。

 

受験はメンタルゲー

 

完全にビビっていた。

 

早稲田のために勉強していたのもあり、一気にヤル気をなくした。

 

「もう都内の大学ならどこでもいいよ…」

 

しらみつぶしに後期の受験をした。

 

だがこれもまたなかなか合格できない。

 

どんだけ俺アホなんだ、とつくづく実感した。

 

補欠には残るものの落ちる、期待しては電話に出て落胆する。

 

思った以上にメンタルがやられていた。

 

両親は大学に何としてでも行かせたいがために、

 

「2 浪してもいいから…」

 

と言ってくれた。

 

しかしもう受験の苦痛から逃れたい。

 

もう1年これを繰り返す自信も勇気もない。

 

それだったらもう死んだ方がいい。そう思った。

 

2浪するか就職するか…と考えた。

 

でももう考えるのも嫌になり、当てもなく電車に乗った。

 

耳にイヤホンを当てて、どこか遠くに行きたいがために山手線をグルグル回る。

 

途中、渋谷駅で降りてただただ歩いていた。

 

人が多いところに行けば気分が紛れるかもしれない、と。

 

しかし学生が楽しそうにしているのが憎たらしかった。

 

むしろ逆効果だ。

 

「ああ、死にたい。はやく帰ろう」

 

このまま人混みのなかにいても気分は晴れない。

 

電車に揺られながら明後日の方向をみて、これからどうしよ…と考えてると母からラインが来た。

 

『あんた2次の補欠受かってたよ』

 

「なんだと…!?」

 

ていうか 2 次があることを知らなかった。

 

また辛い 1 年を繰り返さなきゃいけないと思っていたからこそ肩の荷が下りた。

 

とにかくホッとした。

 

「やった…自由な時間できた!!」

 

受かった大学は大東文化大学。

 

何の思い入れもない。笑

 

正直、受けたのかも忘れていた大学に運よく滑り込んでいた。


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