こんにちは、まつもとです。

 

最近『魔女の宅急便』のブルーレイを買って見直しました。

 

そして思ったのです。

 

なぜキキ(主人公)と一緒にいた黒猫のジジはいきなり喋れなくなったのか?

 

これ超不思議ですよね。

 

ほうきで空を飛べなくなったキキが、ほうきで飛べるようになって命がけでとんぼを救って。

 

最後キキの肩にのって、黒猫のジジに話しかけて喋るかと思ったらしゃべらない。

 

すごい肩透かしされた気分でした。笑

 

ここで僕は、

 

「あーキキは人間的に成長したからジジが必要なくなったんだな」

 

と、なんとなくそのときは納得したのですが…。

 

でも、これってなんとなくで納得しちゃダメじゃない?って思ったんです。

 

あの宮崎駿がそんな「なんとなく」で魔女宅を作り込んでいるのか?いやそんなはずはない。

 

もっと論理的に語っている何かがあるはず、ということで『魔女の宅急便』ジジの謎について調べまくりました。

 

そしたら驚愕の嵐ですよ。

 

宮崎駿は超ぎちぎちに論理的に魔女の宅急便を作り込まれていたのです。

 

そしてジジがしゃべれなくなった理由を解き明かしました。(※あくまでも個人の考察です)

 

魔女の宅急便の各シーンを振り替えながら、宮崎駿や鈴木敏夫(スタジオジブリ代表取締役)の証言なりを参考にしながら徹底的に解説していきます。

キキの魔力が減ったからジジと喋れなくなった説は違う

ぼくも子供のときはそれこそ、「キキの魔力が減ったから~」と思っていました。

 

ホウキで空を飛べなくなったと同時に、ジジと話せなくなる。

 

でも最後にキキは、ホウキに乗れるようになって、とんぼを救って魔力を取り戻しているのです。

 

魔力が取り戻せているなら、最後ジジと話せているはずなんです。

 

なのに最後キキはジジに話しかけても、話せない黒猫のまんまでした。

 

「いやキキはまだジジと話せる魔力がもどってなかっただけだよ」

 

と思うかもしれませんが、冒頭でキキのお母さんが、

 

「キキが使える魔法は一種類、ほうきで空を飛べるだけ」

 

って言っているんですよね。

 

だから、やっぱりジジは魔法でしゃべれるっていうのも違うと思うんですよ。

キキが恋をしたからジジが喋れなくなった説

ぼくもこの考察は好きです。実際に『魔女の宅急便』原作のほうでは、

 

魔女のお母さんは、女の子が生まれたら同時期に生まれた黒猫を飼う。

 

その黒猫は生まれた女の子と話せる特別なネコとなる。

 

しかし、女の子は恋をしたら次に猫は自分の相手も探すようになる。

 

そして女の子と猫は別れる。

と書いてあります。

 

要はキキは、とんぼに恋をしたからジジとは話せなくなる。

 

ジジは白猫リリーと恋をするようになる。

 

そして、キキとジジは別れるていうことですね。

 

実際にこの解釈はかなり普及しています。

 

金曜ロードショーのあとのTwitterでもそう思ってる人はかなり多いです。

 

ですけど、もしキキがとんぼと恋愛をしているのであればラストシーンで辻褄があいません。

 

もしキキがとんぼに恋をしていたら、演出として絶対にとんぼのほうを振り返るはずです。

 

キキがちゃんととんぼを好きであるならば、

 

キキ「ジジが喋れなくなっても大丈夫、だって私にはとんぼがいるもの」

 

と目線をいっかいとんぼのほうに向けます。

 

それで、とんぼが「え、なに?」とのんきな顔してキキは「うーうん、気にしなくていいの」みたいな展開。

 

これ恋愛映画あるあるですよねw

 

しかし、こういったシーンはまるでありません。

 

本当にキキととんぼが恋愛をしているのであればあってもいいですよね。

 

宮崎駿のような優秀な演出の方であれば、必ずやるカット割りだと思います。

 

他にも本当にキキがとんぼに恋をしているなら、エンディングでとんぼとジジが遊ぶシーンを入れてもいいんです。

 

その遊んでいるところをみてキキが笑ってるシーンとかあれば、恋愛説はかなり説得力があります。

 

しかし、そういったシーンも無いんです。

 

たしかに原作のほうでは、

 

『キキが恋愛をしたからジジはしゃべれなくなった』

 

と言っています。

 

しかし、それは原作の意見でしかありません。

 

宮崎駿が作った『魔女の宅急便』は、だいぶ原作とかけ離れてるので恋愛が原因でジジがしゃべれなくなったとは考えにくいのです。

キキが成長したからジジと話せなくなった説

これはものすごい説得力があります。

 

でもこれ不思議なのは、なんでキキは成長したらジジと話せなくなるんだろうっていうのが論理的に説明できないのです。

 

成長といっても”なんとなく”なんですよね。

 

キキが成長したからジジとしゃべれなくなった、というのは色んなクリエイターのかたが述べています。

 

実際に、株式会社スタジオジブリ代表取締役の鈴木敏夫が出している本『天才の思考』では、

 

ジジとの会話は、自分との会話。ラストでジジとしゃべれなくなるのは分身がもういらなくなった。

 

コリコの街へちゃんと行けるようになった、という意味を持っているのです。

 

引用 p88ー鈴木敏夫・天才の思考ー

鈴木敏夫はジジとの会話を、キキは自分自身(内面)との会話と言っております。

 

一方、宮崎駿はといいますと、

ジジは独立した人格ではない。ジジはキキの一部なんです。

 

THE ART OF KIKTS DELIVERY SERVICE 魔女の宅急便

って言っています。

 

これ一見ふたつとも一緒の意見にみえますよね?

 

でも微妙にふたりで表現が異なります。

 

鈴木敏夫が言っているのは、

 

「ジジとの会話は自分自身との会話。キキの内面の会話」

 

です。

 

一方、宮崎駿は、

 

「そういう対話じゃなくて、ジジはキキの一部なんだ」

 

と言っています。(ジジが独立した人格ではないため会話はできない)

 

まあこれ大きく捉えると、『イマジナリーフレンド』じゃないかということですね。

 

『イマジナリーフレンド』直訳すると、空想の友人です。

 

本人の空想の中だけに存在する人物であり、空想の中で本人と会話したり、時には視界に擬似的に映し出して遊戯などを行ったりもする。

 

自分自身で生み出した友達なので、本人の都合のいいように振る舞ったり、自問自答の具現化として、本人に何らかの助言を行うことがある。

 

反面、自己嫌悪の具現化として本人を傷つけることもある。

 

しかし現実の対人関係を学ぶことで、殆どの場合は幼少時に自然に消滅するため、イマジナリーフレンドを「忘れる」ことは、子供が健全成長するための通過儀礼であるとも言える。

 

ーピクシブ百科事典より引用ー

で、、よくある『イマジナリーフレンド』との別れ方は主人公の夢のなかで出てきて、

 

「もう会えなくなるけど、あなたは大丈夫」

 

みたいなことを言いますw

 

これを魔女宅はもっと上品にやっているんですね。

 

最初は魔法動物みたいな扱いだったけど、最後しゃべれなくなってキキは「あー『イマジナリーフレンド』だったのね」と納得する。

 

 

すごい上品な演出をしているなー、と。

 

ここでジジが魔力で話せる黒猫ではなくて、キキのイマジナリーフレンド(空想上の友達)だったことがわかります。

 

ただ鈴木敏夫さんが言う。

 

ジジとの会話を、キキは自分自身(内面)との会話っていうのはちょっと違うんじゃないか。

 

宮崎駿が言っている、『ジジは独立した人格ではない。ジジはキキの一部なんです。』を正確に表されてないんじゃないかと思いました。

 

この2つのニュアンスの違いを徹底解剖していきます。

鈴木敏夫・説に納得できない理由

まず見てほしいのが冒頭のシーンです。

 

草原で寝そべるキキのシーン

草原で寝そべるキキのシーン

 

ここにジジがいません。

 

赤いラジオで「今夜は晴れです。」と聞いたときにキキは今夜旅立つっていうのを決心します。

 

でもなんでジジなしで決心したんだろう、と僕は思ったんですよ。

 

ここにジジいてもいいじゃないですか。

 

もし鈴木敏夫がいっている、「ジジは自分との内面」というならばいつも一緒にいるはずなんです。

 

さらに原作ではちゃんとキキが決心したときにはジジといっしょにいて話もしています。

 

鈴木敏夫・説が正しいのであれば冒頭のシーンで、ジジが

 

「ちょっと待って、ちょっと待ってよ!キキ~!」

 

とか決心したキキを、あわてて後ろから追いかけていくシーンがあるはずなんです。

 

でも一番最初まったくジジと喋らない。

 

キキはジジと何も相談しないで、一人っきりで「今夜旅立つ」のを決心してるんです。

 

ここが僕が魔女宅を見返したときに、「あれ?」って違和感を感じたとこでした。

キキが話しかけても応答しないジジ

ここ見えにくいのですが、『魔女にご用の方は~』の看板の下にジジがいます。

 

キキが「今夜いくわよ!ジジ!」と言って、ジジは何も発することなく立ち上がります。

 

つまりここではあえて、会話のできる魔法動物かただの黒猫か分からない。

 

宮崎駿は見てる人に、

 

「ここの瞬間のジジはしゃべれるとは限りませんよ、そこは考えないでサクッと観てください」

 

という隠れたメッセージがあるんじゃないかと僕は思います。

 

でもジジのキャラクターからして、キキから「今夜いくわよ!」なんて言われたら、

 

ジジ「え!?今夜だって!!?」

 

といったリアクションをすると思うんですよね。

 

でもこのシーンのジジはまだ理性のない猫のまんまなんです。

キキ以外の人とは一切会話しないジジ

旅立ちの準備をするキキとジジ

 

ここでやっとジジのセリフが出てきます。

 

「旅たちはもっと慎重に、厳かに行うべきだと思う」

 

とジジはちゃんとキキに意見を言っております。

 

これ原作の魔女の宅急便を読むと、

 

ジジは理性があって人間の言葉をしゃべれることはお母さんのコキリも承知している。

 

と言っているんですよね。

 

なぜなら、お母さん”コキリ”も子供のころずっとキキと同じように黒猫といっしょに育って、黒猫としゃべっていたからです。

 

だからジジがしゃべれることを原作ではお母さんも知っています。

 

実際に原作のお母さんは、

 

「あなたたちふたりとも」

 

と話しかける場面はいくつもあるんです。

 

さらに原作版のお母さんはキキが旅立つときに、「頼むわよ、ジジ!」と言っています。

 

原作版ではお母さんのコキリが、ちゃんとジジにだけ向けて話しかけるシーンがあるんです。

 

しかし、アニメ(映画)のほうではそういったシーンが一切ありません。

 

お母さんがジジに対してなにか話しかけるシーン、一切ないんです。

 

これすごい不自然ですよねw

 

キキが黒服に着替えて、ジジはそれを見つめるシーン

 

キキはこのとき、「黒猫に黒服で、まっくろくろだわ」と愚痴をこぼします。

 

けどジジはキキの愚痴に一切リアクションを返しません。

 

本当はジジのキャラクターだったら、なんかリアクションするはずなんですね。

 

で、お母さんも「なんてこと言うの!ねえジジ?」という仕掛けもありません。

 

ここから僕の考察として、

 

「ジジはキキとしか話さない、キキの空想上の友達だからキキ以外とは会話できない」

 

といった説が現実的になったのです。

 

旅立つキキと激励するキキの友達たち

 

このシーンでは、キキの友達たちが「いいな!いいな!」とか言っていてキキの肩にはジジが乗っています。

 

で、ここでもジジは黙ったまんまなんです。

 

ジジがキキの友達たちの話を理解してる感じもありません。

キキの母からも認識されていないジジ

ここでキキは、「そんな古いほうき可愛くない」と否定します。

 

キキはジジに、「どう思う?」と聞くと、「お母さんの言う通りだと思うよ」とジジは意見します。

 

ジジはお母さんの味方をするんですけど、でもここでもお母さんはジジに対するリアクションゼロです。

 

で、次のキキが飛ぶシーンで、左からキキ・ジジ・お母さんと並ぶシーンがあるのですがここでもお母さんはキキしか見ていません。

 

原作にあるような、お母さんコキリから「頼むわね、ジジ」みたいなくだりも丸々切っているんです。

 

お母さんはキキしか見えていないですよね。

 

これ不思議なんですけど、アニメのほうは原作をかなり変えちゃっています。

 

で、ここからが面白い話になってきます。このシーンです。

魔女の宅急便『マキとの出逢い』

どんな人だろうと走ってきて(このときはまだ向かい側に住んでいるマキさんだと気づきません)

 

で、マキさん(美人のファッションデザイナー)をじっくり見て。

 

ここでキキは、後ろに体をのけぞらせるリアクションをとっています。

 

つまりキキは、マキさんに驚いたんですよね。

 

これ最初、マキさんが美人すぎてキキはのけぞったのかと思ったのですが違いました。

 

キキは以前にマキさんを見たことがあったから驚いていたのです。

 

実際に、マキさんと出会う前の日の夕方。

 

キキは窓辺で夕日をみていました。そこでマキさんが出てきます。

これ同じ色のピアスもしてるし、髪型もいっしょだしマキさんなんですよね。

 

で、余談なんですけどこのときマキさんはつぶらな瞳です。ようはスッピン状態なんですよ。

 

キキと対面してるときはマキさんは化粧をしております。笑

 

超細かい演出ですよね。

 

で、このシーンでキキはマキさんを見かけて、そのひとがお店にきてキキに依頼するもんですからキキも驚くわけです。

 

でも実はこのシーン、キキは窓辺のマキさんが見えていません。

 

キキは夕日しか見ていないのです。いっかいもマキさんのほうに目を逸らしていない。

 

一方、ジジは窓辺をみて「あっ!」と驚いている。

 

ジジだけが向こう側に女の人がいるのを気がついたのです。

 

 

で、ジジは白い猫のリリーに無視されて傷ついて、

 

「チッ、気取ってやんの」

 

と吐き捨てます。

 

このシーンが本当ならキキは夕日だけを見てるはずなので、翌日キキはマキさんと出会ったとき驚くなんてしないはずなんですよね。

 

じゃあなんでキキはマキさんをみてビックリできたの?どうやって見ることをできたの?

 

これ結論から言うと、この絵が嘘だからです。

 

ん、絵で嘘をつく?どゆこと?と思うかもしれません。

 

実はこの絵は、本当はジジもキキも両方ともキキなんです。

 

キキの目線(建前)=夕日をみて物思いにふけたい綺麗な私

 

ジジの目線(キキの本音)=良い暮らしをしていて美人だなんて羨ましい

 

といった、両方ともキキの目線なんだということです。

 

キキは一生懸命、夕焼けだけを見ようとするんだけど、ついつい向こうに見える自分より良い生活をしているキレイなお姉さんを気にしてしまう一面があります。

 

ジジが別の場面で、

 

「でもあそこのネコなんか嫌い」

 

って言うんですが、これもキキの本音なわけですよね。

 

・テレビがあるくらい恵まれた生活をしている

・みすぼらしい黒猫ではなくキレイな白い猫

・汚い黒服ではなくオシャレな綺麗な服

・自分より美人

・お店にきてまで自分に仕事を与えてくれる

・余裕と自信がある

 

もう非の打ちどころがないから、ジジ(キキの本音)は「でもあそこのネコなんか嫌い!」しか言えないのです。笑

 

 

この絵が嘘であるとしたら辻褄が合います。

 

キキは窓辺で水をやる女の人に気づいてジーッと見ていたことになるからです。

 

その彼女をチラチラ見ていたからこそ、店にマキさんが訪れたときに驚くことができたのだと思います。

 

宮崎駿は、セリフとか物語で本音を語るわけじゃなく、絵でキキの本音を語らせます。

 

思春期、真っ只中であるキキの本音を絵で表現しています。

 

で、キキの”本音と建て前”を嘘の絵をつかうことで表しているじゃないかと僕は思ったのです。

魔女の宅急便ウソの絵『先輩と出会ったシーン』

魔女宅の序盤で、キキは自分より一個上の先輩と出会いました。

 

先輩魔女は美人で、キキよりも飛ぶのが上手いです。おまけに占いもしていて一人暮らしもしています。

 

キキはそんな先輩に憧れの目を向けています。

 

キキ「わあ!すごーい!」とか言ってるんですよね。

 

一方、ジジは不機嫌に睨みつけているんです。

 

で、このカットも同じように絵でキキは嘘をついている。

 

そういった解釈でみると面白くなります。

 

キキの先輩に向ける明るい表情は建前で、本音はジジのように睨みつけている。

 

キキは外面では、「素敵~わたしもこうなりたいー!」と思っているのですが内面では、

 

「(なによ!なんか気に入らない先輩だわ!)」

 

と思ってるわけですね。

 

キキは先輩と別れたあとジジは目で追って、

 

「やな感じ!べーっ」

 

て舌を出しているのですが、キキは前を向いてるんです。

 

これも窓辺の嘘絵と全く同じです。

 

キキは「じゃあね~」と言ったあと先輩から目を逸らしています。

 

キキは先輩のあとを目で追っていません。逆に目を追っているのはジジだけなんです。

 

これが嘘になります。

 

キキの目線(建前)=一生懸命まえだけを見ようとしている自分

 

ジジの目線(キキの本音)=ついつい先輩を嫉妬してしまう自分

 

 

ようはジジというのはキキの本音担当で、ジジと一緒にいるキキは建前担当なんですよ。

 

ジジは暗黒面なんです、だから白猫ではなく黒猫なんだと。

 

そういうキキの性格の二面性を、自分自身ではまだ認めることができなかったんですよね。

 

キキは成長することで、汚い自分(本音)を認める。それでジジを必要としなくなり、ジジと話せなくなったんだと思います。

 

そうなってくると宮崎駿が言っていた。

ジジは独立した人格ではない。ジジはキキの一部なんです。

 

THE ART OF KIKTS DELIVERY SERVICE 魔女の宅急便

『ジジはキキの一部』っていう言葉と、ジジはキキの本音担当である、っていうのは辻褄が合うんですよね。

 

だから鈴木敏夫・説「ジジは本人との対話なんです」とは根本的に違うんです。

 

キキ本人との対話になってしまうと、キキという独立した人格を認めてしまうことになります。

 

それでは宮崎駿が言っていたことと異なります。

 

・鈴木敏夫・説の場合だとキキとジジは会話しているという解釈

 

・宮崎駿の考えでは「ジジというのはキキが認めたくない押し殺してる自分」という解釈

 

ときどき本音がチラチラ出てくるけど、それでもキキ自身は我慢していい子ぶっているのだと、

 

・先輩魔女と別れるときもベーッて舌を出さずに、先輩が飛んでいくきれいな街もみないようにしている。

 

・夕焼けを一生懸命みてるふりをして、自分より恵まれた美人のひとのほうをチラチラ見ている。

 

これらが本当のキキなんです。

 

これをジジとして描かれているのは、宮崎駿の恐ろしさですよね。笑

 

本編をみた人は、なんとなく感じていると思いますがキキは思春期の女の子らしい劣等感を抱えていたのです。

ジジがしゃべれなくなった本当の理由

キキがジジと話せなくなったポイントは、とんぼとのやりとりのなかでキキが逃げたあとでした。

 

おそのさん(パン屋の妊婦さん)からとんぼ宛に配達を任されたキキ。

 

 

キキ「おそのさん、私ととんぼをくっつける気だわ!」

 

と気づくのですが、なぜかキキはそれを受け入れます。

 

そのあと、とんぼが作った自転車に一緒に乗ります。

 

 

とんぼの自転車で砂浜まで走っていって、いっしょに転げ落ちて大笑い。

 

そこでキキは、とんぼの友達たちと遭遇…。

 

 

キキはとんぼが他にも友達がいることを知って、いっきに不機嫌になります。

 

キキはとんぼを独占したかった、とんぼに友達がいるのに嫉妬したのです。

 

ここがキキにとって落ち込みのピークでした。

 

それ以前に、ジジに自分のほかに大事な相手ができてしまったことも重なります。

 

ジジには白猫リリーの彼女ができて、キキは無意識にジジに捨てられたと思っております。

 

 

それでついついとんぼを頼ってしまったのです。

 

とんぼと仲良くなろうとしたんです。

 

でもとんぼを独占できないとわかった瞬間、キキは絶望しました。

 

その本音をとんぼに向けるのが嫌で、

 

キキ「今日わたし帰る!」

 

とんぼ「ええ!?なんで?ぼく何か悪いことした?」

 

キキ「あなたは何も悪いことをしていないわ!」

 

もうキキはとにかくもう何も触ってほしくないんですね。

 

とんぼが、なぜ?なぜ?って言ってるのに対して、

 

「それは私が嫌な女だからよ!」

 

なーんてキキは絶対言えないので、黙って帰るしかなかったのです。笑

 

だからキキは走って道中とぼとぼと寂しそうに歩きながら家へ帰っていきました。

 

・・・

 

そしてキキは部屋に戻って、ぐでーんとベッドに倒れ込みます。

 

そこでキキはジジに声をかけるのですが、ここでジジとはもう話せなくなっています。

 

と、同時にホウキも飛べなくなりました。

 

キキは、自分のなかのジジ(キキの本心)という汚くて嫌な存在。

 

本音である自分自身の存在に気が付いてしまったのです。

 

キキが「もうあの頃のいい子の私はいないのかしら」と言っていたのはそれなんですよね。

 

ただジジと話せなくなった瞬間は、まだキキは汚い自分を認めていません。

 

これに気づくのは、ラストシーンです。

 

そこまでいって初めてキキは汚い自分自身を認めるほどの成長が完成します。

 

ジジは獣の顔のまま、キキの肩に乗ります。

 

キキはジジに話しかけても、無反応です。

 

それでキキはさみしそうな笑顔でジジを顔でなでる。

 

このときになって、キキは「ジジというしゃべれない猫がいない」ことを認めます。

 

ジジというのは、本来ただの黒猫で最初からしゃべれなかったんです。

 

ジジというしゃべれない猫がいない、そうやって現実を認めたことがキキの成長であります。

 

これでようやくジジがしゃべらくなった理由がわかりました。

 

「話すことができる黒猫のジジではなかったんだ」

 

と現実をうけとめ、寂しさもラストシーンにはあるわけですよね。

 

簡単に考察のまとめをしますと、

 

・ジジはもともと話せないただの黒猫だった

 

・ジジ=キキの本音を代弁してくれる存在であり、キキ=建前しか出していない綺麗な自分。

 

といったところです。

黒猫ジジとキキが別れた、その後。

キキはジジと離れることで、自分が生活している街で新しい同い年の友達もできました。

 

キキが黒い服を着る前は、故郷にちゃんと友達もいてジジ以外にもちゃんと話す相手がいたのです。

 

でもキキは新しいコリコの街にきてから、不安だったり寂しかったりするといつもジジを頼ってたんですよね。

 

だから、とんぼとも仲良くできなかったし、とんぼとの友達とも積極的に関わろうとしない。

 

でも、ひとりぼっちだと認めたことでキキはやっと自由になれたわけです。

 

エンディングではジジがいなくても配達もやって、時計台のじいさんともしゃべっています。

 

他にも憧れていたリボンのついた真っ赤な靴を、

 

「(やっぱり欲しいな~)」

 

と、ショーウィンドウをみてたら魔女のコスプレをした小さい女の子が通りすぎます。

 

自分のみすぼらしい黒服が、いつのまにか憧れの存在となっている。

 

空を飛べる魔女だからってキキは特別扱いされませんでした。周りからチヤホヤされませんでした。

 

空から飛んで街におりてきただけで、

 

「わたしキキ!こっちは黒猫のジジです」

 

と自己紹介するシーンがありました。

 

キキはこのときに一般人から「うわー!魔女だ!」とはしゃいでくれると思っていたでしょう。

 

ですが、みんな塩対応です。

 

「へーそうなんだ~じゃあね」

 

と、周りから遠ざかれてしまう。

 

そこにキキは傷ついたわけですけど、それが当たり前なんです。

 

空を飛べるってだけで振り向いてくれると思ったら大間違い、で。

 

世界が当たり前だからこそ、空を飛べる力があることで何をしたか?が重要なわけですよね。

 

キキは何をしたのか?

 

空をとべる力を使って、命がけでとんぼという少年を救ったから。

 

いいことをしたから周りから認められて評価されたのです。

 

この世界は、空をとぶ魔女なんて当たり前という価値観だからこそよかった。

 

空を飛ぶだけで評価されるんじゃなくって、空をとべる力でどう人に貢献したか?で評価されました。

 

可愛いだけで評価される世界でもなく、

服がみすぼらしいからといって評価されることもなく、

自分がやったことで評価される世界だった。

 

だからこそキキは成長できたんだと思います。

 

劣等感といったしがらみから解放されて、ジジがいなくても生活できる女性になったんだなと。

 

いやーなかなか感慨深いですね。

 

ここまでが僕の考察です、長々と読んでくれてありがとうございました。

 

もし「面白かった!」と思ったなら、ツイッターやメールのほうに感想よろしくお願いいたします。では!


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
僕は受験勉強が嫌すぎて、
18歳で起業してパソコン1台で食っていけるようになりました。

今は月収70万になりました。
月9万pvのブログを運営したり、
Barの経営やアプリの開発に携わってます。

まあそんなの怪しいですよね?
しかし僕は地頭がよかったわけでも、
環境に恵まれたわけでもありません。

もともと文章を書くのも好きじゃないし。
「消しゴム拾って?」とも言えないコミュ障でした。

そんな僕でも自信を得れて
バイトせずに月収70万。
プライベートもかなり充実しています。

結局は、知識です。
知ってるか知らないかだけの世界です。

学んでいけば誰でも稼げます。
まつもとが知識を得て月収70万を稼ぐ過程を下記で公開しています。
18歳で起業して月収70万になったウソのようで本当なクレイジー壮絶物語

ーーーーーーーーーーーーーーー
【下記をクリックして、Fラン休学生月収70万物語の続きを読む】

<<詳細が気になる方はコチラをクリック>>
魔女の宅急便の関連記事
  • 誰も知らない魔女の宅急便『なぜ黒猫のジジは喋れなくなったか?』
おすすめの記事