
どうも、まつもとです。
最近ブルーレイで千と千尋の神隠しを見返しました。
「やっぱ千と千尋おもしれえな~」
と思いつつ、そういえば油屋って風俗何だっけか?という都市伝説を思い出しました。
油屋とは、千尋が働く湯屋のことです。これのこと↓
ネットでググってみると、『油屋=売春宿』といった記事しかないんですけど、
「本当にあの巨匠こと宮崎駿がメイン舞台の油屋を、風俗をモデルに描くのか?」
と僕は純粋に疑問をもちました。そして、あらゆる資料を集めて研究しまくったわけですね。
みんなそこまで本気になって調べないので。笑
そして1週間くらいかけて、やっと根拠のある答えがでたのです。
結論から言うと、油屋はスタジオジブリをモデルにしていました。これはもう断言できます。
しかしなぜ売春宿ではなく、スタジオジブリだと言い切ることができるのか?
その根拠とはなんなのか?
宮崎駿さん、プロデューサー鈴木敏夫さんの証言をもとにひも解きながら徹底解説していきます。(以下敬称略)
そもそも『千と千尋』=風俗説が生まれたきっかけ
「千と千尋は風俗産業を描こうとしている」
「キャバクラがモデルになっている」
という説が生まれたきっかけは、そもそも鈴木敏夫のインタビューからでした。
「宮崎駿にキャバ嬢の話をした」と。
キャバ嬢は、もともとコミュ障で他人と上手く話せない人が多い。
ところがコミュ障だった女の子がキャバ嬢をやると、数週間くらいでお客さんと話せるようになる。
そんな話をしたら、宮崎駿はすごく感心して「俺らのジブリも似たようなもんだね」と言ったのです。
・地方から出てきたもう絵しか描けないようなひと
・アニメにしか興味がないというようなひと
そんなひとたちが集まって、一緒に物を作っていくうちに段々と他人と話ができるようになってくる、と。
いや宮崎駿が「そうだよね」って共感したのって、この部分だけ。
決して、「油屋=夜の仕事」とは言っていないわけです。
けれど、『現代の日本はまるでキャバクラ、風俗だ。というメッセージを込めた』と鈴木敏夫が言えばマスコミは取り上げるわけです。
「今回のジブリ作品は、それをテーマにしている」と言ったら評判になります。
いわば週刊誌的な手法ですよね。笑
僕も『油屋=売春宿』説を調べる以前はこれをずっと信じていましたw
なので僕もコロッと騙されて、「千と千尋って、やっぱり風俗を描くことでしょう?」とつい最近まで思っていて好きにはなれなかったです。
もう本当に恥ずかしいことなんですけどもね。
鈴木敏夫の宣伝手法は、本質をわかりやすくキャッチーに歪めちゃうところがあります。
実際に『ゲド戦記』では、マスコミに「宮崎駿と宮崎吾朗の親子は仲が悪い」という話が報道されていたので、それを逆手にとっていました。
わざと「ゲド戦記は父殺しの物語で、宮崎吾朗が宮崎駿を否定するための作品だ」みたいなことをいっぱい言って、それで注目を集めていたりなんかもしていたわけです。
そりゃ大衆ウケするだろうけど、映像を作った関係者からするとたまったもんじゃないですよね。
で、鈴木敏夫が「今回のジブリ作品は、風俗産業をテーマにしている」と言っている一方で。
宮崎駿はというと「『千と千尋』はジブリを描くのが目的だ」とハッキリ言っています。
この発言は、”ふゅーじょんぷろだくと社”が出版した『千尋の大冒険』という割とマイナーな本からでした。

『「千と千尋の神隠し」千尋の大冒険』別冊COMIC BOX vol.6
この本で宮崎駿は「『千と千尋』はジブリを描くのが目的だ」と言っております。
しかし、なぜ他の本では「『千と千尋』はジブリを描くのが目的だ」といった文章が載っていないのでしょうか?
講談社とか、角川とか、文藝春秋とか、一流の出版社に載っていてもおかしくないですよね。
けどそういった一流の出版社から出された解説本には載っていません。
なぜか?
それは一流の出版社から出された解説本には必ず鈴木敏夫の検閲が入るからです。
つまり、この『千尋の大冒険』という本は唯一、鈴木敏夫から検閲が入らない奇跡の本になりました。
事実として『千と千尋』の解説本は、いろんな出版社から出ています。
ただ図版をいっぱい使っている公式本は、講談社とか、角川とか、文藝春秋とか、そういう一流の出版社からしか鈴木さんはオーケーしていませんでした。
ところが、このふゅーじょんぷろだくと社というのは、全く一流の出版社ではありません。
『千尋の大冒険』という本は、ただ「社長が宮崎駿と仲が良かった」という理由で出版できた奇跡のような本です。
だから、この本の中には「当時のジブリの批判」とか「スタッフが宮崎駿の悪口を言ってること」とか「本当はこんなことやりたかったんだ」というのが山のように載っているんです。
(これ読むだけでもめちゃめちゃ面白かったですw)
だけどジブリ美術館でも、『千尋の大冒険』は売っていません。
それはジブリ公認ではない。鈴木敏夫公認ではないからなんですね。
で、このふゅーじょんぷろだくと社の本の中で、
「ジブリというのは理不尽で重労働だ」
「そんなジブリを舞台に小さな女の子が無理矢理に働かされる話をやりたかった」
と宮崎駿は言っています。
ここまでくれば「油屋は売春宿ではなく、実は油屋はスタジオジブリだった」と確証が得られたかと思います。
『油屋=ジブリ』で働くと人の心を失ってしまう。
『油屋=風俗』説のなかで、油屋で働くと人の心が失ってしまう。といった点が風俗との共通点だと解釈してしまいがちです。
しかし本当は、ジブリで働いていると人の心が失ってしまう。
そのことを表現したいのではないのでしょうか。
千尋は、油屋で働いているうちにブタになった両親を見ても平気になってしまいました。
これは『千尋の大冒険』のなかで書かれています。
まあ実際に作った映画の中には、ちゃんと「ブタになった両親を見て悲しむ千尋」というシーンがありましたけどね。
ただこの本が作られた時には、まだ映画の前半しかできていませんでした。
そんなとき宮崎駿は取材を受けて、
「千尋はブタになった両親を見ても平気になってしまう。何も心が動かない。しかし、おにぎりを食べて自分の名前を思い出したことで自分はなんて変わってしまったんだと涙をポロポロ流す」
というふうに言っていました。
つまり、「油屋=ジブリで働くことで心を失ってしまう」と。
宮崎駿の実のお母さんが死んだとき、宮崎駿は仕事が忙しくてお葬式に行かなかったそうです…。
本当にアニメーションの仕事の現場にいると、どんどん人間の心を失ってしまう。
それは宮崎駿も、「ジブリの中では、アニメーターに対して理不尽な命令をしたり、怒鳴ったりしている」といっています。
ジブリで働くことで、人間の心を失っていると実感していたのではないかと。

ハクの作ってくれたおにぎりを貪る千尋。
千尋が、自分の名前すらも完全に忘れてしまうほどの忙しさのなかで、心を取り戻す方法が、この「おにぎりを貪る」というシーンです。
ハクに勧められて、千尋が初めておにぎりを食べたとき。
千尋は「自分はお腹が空いている」ということに初めて気付きました。
千尋は、一番最初から欲望がない子です。
「痩せっぽち」って油屋のなかでイジられていましたが、瘦せっぽちってことは「食欲があまりない」ということ。
両親と一緒に不思議な街の食物屋がいっぱいあるところに行って、「千尋も食べなさい」と言われたときに「私…いらない」と千尋は応えました。
欲がない、厳密にいえば欲を見せない。
これが普段の千尋です。
お腹が空かない。
「食べろ」と命じられても食べない。
ご飯の時もあんまりご食べない。欲望が出てこないんですね。
だから痩せっぽち。
けどハクに勧められて、千尋が初めておにぎりを食べたとき、
「どんなに自分が飢えていたのかわかった」
と気づいてしまったのです。
ぼくはこの「どんなに自分が飢えていたのかわかった」という千尋に、宮崎駿は自分自身を重ね合わせているんじゃないかと思いました。
宮崎駿も、当時『もののけ姫』の辺りまで、ずっと「儲けることには興味がない。ヒットのためにやってない」と言っていました。
欲がない千尋と一緒ですね。
ただ世間は、宮崎駿に金の魅力、「こうやれば、もっとヒットしますよ? 儲かりますよ?」と言って仕事をさせようとしていました。
それに対して宮崎駿は「いや儲けなくてもいいんだ! 俺は金のためにやってるんじゃないんだ!」とずっと言っていたのです。
しかし、現にお金がないと納得できる作品はできない。
腹が減っては動けないのと同じで、アニメーターにお金が払えない。
宮崎駿は『魔女の宅急便』が終わったときから、「ジブリではアニメーターを正社員にしよう」と言っていました。
けどこれには、もう莫大なお金が必要です。
「金がないと自分の好きな作品も作れない」
宮崎駿は、ちょうどこの頃から自分の中の隠れた欲望を出すようになりました。
まあこれ自体は千尋と違って、「自分では隠してるつもりだった欲望」だったんですけど。
「金には興味がない。ヒットにはあまり興味がない」
は、宮崎駿の建前であって、実は。
宮崎駿は誰よりも、
「どれくらい儲かっているのか? どれくらいヒットしているのか?」
を気にする人間なんじゃないかと僕は思います。
実際に『カリオストロの城』のときに、自分が渾身の力で作ったアニメーションというのが全然ヒットしませんでした。
おかげで5年くらい業界から干された、そういう痛い経験もあります。
だから、「どれくらいヒットしているのか?」をめちゃめちゃ気にするんじゃないかと。
ただ相変わらず、宮崎駿さんは「自分がどれくらいお金を持つか?」には本当に興味がありません。
「こんな塩分の強いものを女房に隠れて食うのが一番のごちそうだ」
と嬉しそうに食っているシーンが、ドキュメンタリーにも収められています。笑
こういう方なので、本当に「自分にどれくらい金があるのか?」には興味がないようです。
だけど、「ジブリのアニメがどれくらいヒットしているのか?」には本当に興味があるというか、こだわる人なんだと感じました。
まとめ
・油屋は風俗ではなく、スタジオジブリだった
・スタジオジブリで働くと人の心を失いそうになる
・飢えに気づいた千尋と宮崎駿
といったところでしょうか。
とりあえず油屋が売春宿ではなかったことが個人的に何よりも嬉しいです。笑
それと特に心にグサッと来たのは、
「いや儲けなくてもいいんだ! 俺は金のためにやってるんじゃないんだ!」
と言い張っていたときの宮崎駿さんが、「やっぱりお金は必要だ」と手のひら返ししたとこですね。
これは今までの『金儲け=悪い』といった教育を受けてきたからこそ、『金儲け=いいこと』だと丁寧に教えてくれるひとが現れなかったからこそ。
儲けは大事だ、って気づくのに時間がかかったんだなと思います。
お金は自分自身を守るものでもあり、大切な仲間を支える役目もできます。
大切な仲間をちゃんと応援したい、いっしょに最高の作品を作り上げたい。
そういう理念を成し遂げ続けるためにも、お金ってやっぱり必要だなと感じました。
ぼく自身も瘦せっぽちだし、もともと我が強いタイプではありません。
でもいざ毎月お金が自動的に振り込まれることによって、
「あっ、俺ってばやりたいことたくさんあったんだな」
と気づかされました。やっぱり欲求というのは生きる礎になりますしね。
「儲けなくてもいいんだ!!」
って言っているひとほど、僕はお金に縛られていると感じます。
そういった人ほど、とっとと早く稼いで本当にお金に困らなくなって、自分の人生を楽しんでもらたらなと思います。
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【ブログ更新】
ググってみると、『油屋=売春宿』といった記事しかなかった
「本当にあの巨匠こと宮崎駿がメイン舞台の油屋を、風俗をモデルに描くのか?」
と僕は純粋に疑問をもって、あらゆる資料を集めて研究しまくった
そして、やっと根拠のあるひとつの答えがでたhttps://t.co/f0yBaBZgaq
— まつもと@文章だけで月120万 (@matsumoto_012) June 19, 2020